シェア・インターナショナル 2020年1月号

シェア・インターナショナル誌のオンライン版では、印刷版からの抜粋を紹介しています。各オンライン版には、ベンジャミン・クレームの師による完全な記事が含まれています。幅広いトピックをカバーする他の記事のほとんどは抜粋です。オンライン版には通常、Q&A、読者からの手紙、マイトレーヤ臨在の徴の写真も含まれています。

印刷版の目次は、ページの下部をご覧ください。

シェア・インターナショナル誌の創刊以来、ベンジャミン・クレームの師は35年近くにわたって毎月記事を提供してきました。これらは書かれた時点だけでなく、世界情勢に応じて適切な時に掲載されることを意図していました。

contents

新しい日――覚者より 

人が世界の状況について検討するとき、困難や精神的衝撃、危険や危機のみを見て、恐怖で麻痺状態になり、絶望感が生み出す惰性を克服するためにはほとんど何もしない。そのようにして、人は彼らの最高の努力が進んでいることを見逃し、出来事の筋道をめったに理解しない。起こっている物事すべての底に横たわる法則についてほとんど理解せず、したがって、それらの結果をコントロールすることができない。もし彼らが目には見えないこれらの法則に沿って生きるなら、人間の生活は調和と秩序のうちに発展するだろう。

そのような無知と恐怖心にもかかわらず、今日の人間は、彼らを駆り立てて道を前進させるフォース(霊的エネルギー)を感知する力が一段と高まっている。彼らは、自分たちがコントロールはもとより理解すらできないものが多くあることを、かすかにではあるが、感知する。しかし彼らは、ゆっくりと、彼らの裡にそして周りに、より大いなる意味と目的を、より大いなる和合と美を、思い描き始めている。

見守っているわたしたちが、眺望のきく視座から、変化する世界をコントロールしようとする人間の努力を考慮するとき、人間の生活に影響を及ぼす、より高位のフォース(エネルギー)に対するより大きな感受性の発達の徴が見えることを歓迎する。わたしたちは、人間のこの反応がさらに強化され、そしてこれらのフォース(エネルギー)をさらに有益に活用するようになるのを喜んで待つ。

わたしたちには、憎悪と残忍さ、野蛮な行為と戦争の増大もまた見えていることは確かである。しかし、それらは恐怖心の反応であり、終わりに近づきつつあり、やがて静まるだろう。

この転換の時期は確かに困難な時である。多くの人間が未来に手を伸ばし、変化を願い、諸問題に対する新鮮な答えを切望する。またある者は古いやり方に頑強にしがみつき、新しいものの猛襲をせき止めようとする。わたしたちは、人間が正しい道を見つけるだろうと確信して、見守り、そして待つ。

覚者たちの中の(最高の)覚者であるマイトレーヤは、人類の前で公に仕事をするために、彼の出現を始める態勢を整えて構えておられる。これは、舞台の背後における彼の仕事を完全にやめることを意味するのではない。彼の行っていることの多くが、今でさえもある人々の、さもなければ失敗するだろう仕事を、失敗しないように支えている。彼の助けと手引きが複数の賢明な指導者たちの手を導き、彼らを危害から守る。

自分たちの力を証明するために世界に暴行を働く者は、マイトレーヤをもまた攻撃するのである。すべての善意の人々の背後に、マイトレーヤと彼のグループ(覚者たち)が立つ。彼らは楯を形成し、あらゆる攻撃の矢はその楯の上に空しく打ち当たる。

マイトレーヤが公に出現するとき、速やかに彼の側に来なさい。平和と正義と自由の旗印のもとに集合し、そして彼の巨大な仕事を援けなさい。人間の生活の中に新しい日が明けつつある。これまでに知られたことのないような日である。

これらの記事は、ハイアラキーの上級メンバーである覚者によるものである。彼の名前は秘教界ではよく知られているが、まだ明かされていない。マイトレーヤの出現に関する主要なスポークスマンであるベンジャミン・クレームは、覚者と常にテレパシーでコンタクトをとっており、彼に記事を口述していた。

覚者による他の記事を見る

読者質問欄(抜粋)

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けました。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したいと思います。

Q 私はマイトレーヤに会うことができますか。

A あなたは、マイトレーヤに対してでさえ、無執着でなければなりません。私はマイトレーヤがどこにいるのか知っていますが、マイトレーヤに会いに行くことは許されません。私は彼の近くには決して行きません。彼がある会合に出席されていることを知っていても、私は決してその会合には行きません。実在する誰かと握手する必要はありません。ハートの中で、彼があなたにとって実在するか、そうでないかのどちらかです。もし彼があなたのハートの中にいれば、あなたは彼に会って握手する必要はありません。

Q あなたや覚者方は、再臨のタイミングについて話すとき、なぜいつも「間もなく」と言われるのですか。

A 覚者方はいつも「間もなく」と言われます。なぜなら、彼らの観点からは、それは非常に間もなくだからです。彼らにとって10年や20年は「間もなく」であり、私たちの時間で2週間程度のものです。もし覚者方が「それは20年以内に起こるかもしれない」と言われたら、誰も何もしないでしょう。私が1959年にマイトレーヤに知らされたのは、彼は「誰が可能と思うよりも早く」やって来るということでした。彼は約20年と言われました。実際には、その出来事は18年後(1977年)でした。私は「20年! 急ぐ必要はない!」と思いました。私にとって20年は途方もなく長い時間でした。それで私は何もしませんでした。私の師が外に出て話すよう私を「プッシュ」するまで、私はそれについて何もしませんでした。私には切迫感はありませんでした。秘教グループにとっての問題の一つは、彼らが切迫感を持っていないことです。

呼びかけ

私たちの情報をウェブサイトだけで受け取る人が増え、シェア・インターナショナル誌を購読するためのわずかな費用を惜しむ人が増えていることに気づきました。

誰もがインターネットを使えるわけではないし、そうであるわけでもありません。つまり、印刷された雑誌が必要です。もちろん、それにはボランティアによる多くの作業と、制作・配布のための多くの資金が必要となります。ハイアラキーはこの仕事のためにお金を出しているという考え方があるかもしれませんが、そうではありません。シェア・インターナショナルの購読料は、私たちの活動を維持し、一般の人々に届けるために不可欠なものです。購読料は可能な限り低く抑えられており、雑誌は広告による補助を受けておらず、印刷代や郵送料は常に値上がりしています。

インターネット上の情報を読む読まないにかかわらず、この活動を真剣に信じるすべての人が、この雑誌を支援したいと思うことは、きっと誰もが認めることでしょう。

ご支援ありがとうございました。

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、未掲載手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームと彼の師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたものである。その他の掲載された手紙は新しいものであり、覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、読者の考慮のためにこれらの手紙は提供されている。

二人でも三人でも集まる所には

編集長殿
2019年11月3日にメンバーの一人がアムステルダムのインフォメーションセンターで講演を行い、かなりたくさんのメンバーたちが参加して、興味深く鼓舞される話し合いに発展しました。翌日、6人のメンバーがセンターにいた時、前の月の10月13日の講演の時だけでなく、参加していた人々が講演の間中、強力なエネルギーを感じていたという話になっていき、世界中でメンバーによる講演の際にしばしば起こっていることなのです。
私たちはそのエネルギーに対して注意深く敏感であることが、いかに大切かについて、そしてグループのメンバーたちがこのような、あるいは他の類似のイベントにおいて、エネルギー伝導に活用され得ることについて話し合いました。私たちはシェア・インターナショナル誌の11月号に掲載されたばかりの(「覚者方と働く、いつでもどこでも」という題の)手紙を読みました。会話が始まった瞬間から、エネルギーが流れ始め、話が続いていく間にさらに強くなったように思えました。私たちはこの『ストーリー』、つまりマイトレーヤと覚者方の存在とその出現についての素晴らしいことを語り合い、それは現実で、真実であり、出来事や体験、エネルギーが日々それを証明しているのです。私たちがちょうど聖書の、「二人でも三人でもわたしの名において集まる所には……」という言葉を思い起こした時、突然正面のドアに(ベンジャミン・クレームの師によって何年にもわたって何度も確認された)イエス覚者の若い代弁者がいたのです。数カ月間、彼を見かけていませんでした。彼は入ってはきませんでしたが、自転車に乗ったままドアのポスターを読み、それから満面の笑みを浮かべ、大きな身振りで手を振り(私たちも手を振り返しました)、いつもの親指を立てる仕草をしてくれました。彼は来た時と同じように突然帰っていきました。
彼の登場は、覚者方が全知であること、グループを良く知っていること、私たち皆を援助し、導き、鼓舞していることを、再び私たちに確認させてくれました。この体験は間違いなく彼らの存在と、私たちが有用になることのできるやり方に、目覚めて整列していて機敏であることの必要性を確かなものとしてくれました。
メンバー 一同
オランダ、シェア・オランダ・
インフォメーションセンター

時代の徴

ここに掲載されている「時代の徴」は、過去にベンジャミン・クレームによって確認されたものであるか、または確認されたものに似たもの、あるいはそれ自体が物語っている「徴」として掲載しました。それらは多くの人に目撃され、彼らの希望と信の証しとなっている。判断は読者のみなさまにお任せします。

NASA——2019年11月6日、NASAの太陽・太陽圏観測機は巨大な天使のような形をした物体を太陽の近くで撮影した。
(sohowww.nascom.nasa.gov)

アメリカ——2019年12月19日の晩、ニューヨーク州ブルックリン在住の目撃者が観察し、写真撮影した何色にも光る低空を漂う飛行物体。「とても明るい色をしていました」と目撃者は語った。
(mufon.com)

2019年11月8日の晩、カリフォルニア州サンマルコス街の上空を低く漂う輝く星のような物体を目撃者が観察し写真に収めた。目撃者によると、物体はしばらく停止をしていたが、「上方向へ丘の上へと飛ぶと、視界から見えなくなり、そしてまた視界にポンと現れました。明るく白く光っていましたが、その後消えました」と言っている。(mufon.com )

本誌通信員より

生態学と霊性(抜粋)

ドミニク・アブデルノール

霊性はしばしば物質的現実から切り離された精神的理想と関連しているが、一方で生態学は人間と自然の関係に関する科学的研究に関連している。語源的には、spirituality(スピリチュアリティ、霊性)はspirit(スピリット、霊)、pneuma(ニューマ、宇宙を創造する神の呼吸)から、ecology(エコロジー、生態学)はekois(エコイス、家または環境)と logos(ロゴス、研究)から来ている。

この記事の中で私は、生態学は霊的規律であり、霊性には生態学的なアプローチが含まれることを示したいと思う。

アリス・A・ベイリーを介して執筆されたジュワル・クール覚者による次の二つの文章は、霊性に関するものである。
「何らかの形の発達──肉体的、情緒的、知的、直観的、社会的な発達──に向けて人間を駆り立てるすべての活動が、もしそれがその人を現在の状態より前進させるならば、本質的に霊的な性質のものである」

「理解、優しさ、美を生み出すもの、神聖な潜在力をより完全に表現するよう人を導くことが可能なもの、これらにつながるものはすべて霊的である」

これは、霊性が生態学、科学、政治、経済学を含む生活のあらゆる分野に関係していることを示唆している。

一般的に受け入れられている主流の科学的アプローチは、130億年前に陽子、中性子、光子の原始のスープ(生命誕生の場とされる有機物の多い水溶液)が星へと凝集して水素、酸素、炭素の原子を形成したことを示唆している。その後、爆発して超新星となった一定の星が、銅、亜鉛、金、鉛などのより重い原子を形成した。これらはすべて変則的に生成する。幸運な偶然と自然の選択の法則により、生命と知性が発生した。したがって、思考は脳の産物と見なされている。

しかし、ますます多くの科学者たちがこの学説を調査し、意識が物質の前提条件になり得るだろうかと考えている。この点についての秘教徒の教義を見てみよう。「一つの大生命が宇宙を創造し、活性化し、生命を与える」。秘教徒にとって、スピリット(霊)は物質に意識をもたらし、神の計画の目標の一つは意識の進化であり、物質の振動率を上昇させることである。

ロシアの秘教徒H・P・ブラヴァツキーはこれらの原則を次のように総合的に定式化した。「自然は原子の偶然による産物ではない」「生命は形体に先立って存在し、最後の原子まで生き延びさせる」

「‘聖なる呼吸’、またはむしろ‘生命の呼吸’・・・は、すべての動物、すべての活発な粒子、すべての鉱物原子に存在する」「霊(スピリット)と物質は一つである。・・・霊は第7界層の物質である。物質は神の周期的活動の最低の界層の霊である。……」。このように、霊と物質の間には振動率の相違のみが存在する。

生命のない物質で構成されている地球という物質主義的な概念は、人間の行動の結果を無視することによって、寄生虫のように生きる人間の分離感覚と地球資源の過剰利用につながっている。

現代の秘教徒(アリス・A・ベイリーとベンジャミン・クレーム)は、人間の進化と平行して進化するデーヴァの存在を確認した。 デーヴァは形態面を担当し、感性を通して活動する。「デーヴァは感性(フィーリング)、感覚的認識を通して進化します。 私たち人類は知性(マインド)の発達を通して進化します。 私たちは知性(マインド)の息子であり、デーヴァは感性(フィーリング)の娘です。 彼らの進化はここに、今存在するもの、生命の中に、物質の中に、波動の中に存在するもの、創造物として私たちが思いつくことのできるすべてのものに対する、発展してやまない認識を通して進行します。それが彼らの経験です。彼らは瞬時も絶え間なく生命と物質を感知し、その認識の中で成長していきます。私たちも感覚器官を通して同じことを行いますが、私たちはそれ以上を行います。少なくとも人間のレベルまでのデーヴァたちは、考えたり、思考したりはしません。彼らの活動の中に精神活動はありません。しかし進化するにつれ、わずかな波動の違いに関して高度に発達した、極端に敏感な感覚的認識を持つようになります。彼らは次第により精妙な感覚を発達させていきます」
(ベンジャミン・クレーム、シェア・インターナショナル誌 1993年1月号)

平行する進化の存在は、シャーマニズムを含むほとんどの伝統の中では一般的な認識である。スコットランドのフィンドホーンにあるフィンドホーン・ガーデンの実験を引き合いに出すことができる。自然(デーヴァ)の繊細で神秘的な知性との連携がどのように行われ、不毛の土地を肥沃にし、豊かな花、見事な野菜、果物を生産するように導いたのか。多くの庭師たちは植物と対話し交流し、「緑の指(園芸の才)」を持っていると世間でよく言われるほどにその肯定的な効果は当然と考えられている。このことは、植物界との精力的な交感により植物が成長し、より美しくなることを示している。

ベンジャミン・クレームはさらに踏み込んで、地球の気候などのデーヴァの仕事に人間が及ぼす不均衡という負の役割について注意喚起している。「私たちが貪欲で、利己的で、競争に満ちているとき、必然的に私たちは不調和をつくり出します。そうすると、天候、海洋、雨などをコントロールするデーヴァたちは平衡を失い、世界中に今のようなとても異常な気象パターンがつくり出されます。それはある程度、私たち自身の不均衡の結果です」

強いが柔らかな光の中に顕れた5人の天使(抜粋)

シェア・インターナショナルのスタッフ

2019年のクリスマスイブに、BBCラジオ・チャンネル4のリスナーたちは、娘の命を救うことができなかったある父親への特別で感動的なインタビューの模様を聴いた。インタビューは、適切な表示がされていなかった食品を食べて激しいアレルギー反応を起こして死亡した15歳のナターシャさんの父親ナディム・エドナン・ラペロウズ氏への、彼の娘の生活とその死に関するものであった。ナディム氏と妻のタニアさんは、それ以来イギリスの食品のラベルに関する法律を変えるキャンペーンと努力が実ったことで著名になった。現在「ナターシャの法律」として知られている新しい法律が制定されている。ナディム氏は、彼の生活を変えるほどの経験によるインスピレーションとその結果の強い動機がなければ、このことは不可能であったであろうと感じている。

ナターシャさんは3年前に亡くなったが、ナディム氏が彼に起こった顕著な出来事を述べたのはこれが初めてであった。彼は「他の人が知ることができるために、私が証言しようと思う出来事を何の装飾も交えないで、真に誠実に、あえて語ろうと思います」と述べた。

幼児期からナターシャさんは様々な食物アレルギーにかかり、その結果、家族は食べ物を極めて用心深く扱うようになり、ナターシャさんと共にすべての食物の成分を注意深く調べた。ナターシャさんは彼女の父親及び級友たちと(フランスの)ニースに向かう飛行機の中で、店で買ったサンドイッチを食べた後、突然病を発症した。抗ヒスタミン剤を2回飲み、エピペンで何回か注射を打ったが、アレルギー反応を止めることはできなかった。彼女は呼吸困難になって意識を失い、ついに心肺停止状態に陥った。飛行機がニース空港に着陸すると、看護師チームが用意されていて、彼女を蘇生させるために手が尽くされた。

ナディム氏は次の瞬間に起こったことをこう表現した。「私はナターシャを見つめていて決して娘から眼を離しませんでした。そのとき5人の天使が顕れたのです。強いけれど柔らかな、ろうそくのような黄色い光が輝いていました。その光は確かに強烈ではありましたが、目を細めさせるほどではありませんでした。そして、その5人の姿の詳細をはっきり見ることができました。彼らはスリムな人たちで、完璧なプロポーションをしており、背後に羽根を付けて現れたのです。彼らの身長は約20センチであり、細く、子供のようなぽっちゃり型ではなく、また羽根を付けたルネッサンス期の絵のようでもなく、ヴァチカン宮殿で見るような姿でもありませんでした。実際の人間のようでしたが、彼らの羽根にしても、体にしても、顔にしても、細部にわたって繊細でした。彼ら全員が私を見つめており、ナターシャの周りを動き回っていました。私はあっけにとられました。これまでの生涯においてそのようなことは何も起こったことはなかったのです。そして、そのようなことが起ころうとは考えたこともなかったのです。私は腕を挙げて彼らを追い払うしぐさをしました。これが娘が死ぬ兆候ではないかと思ったからです。私は彼らを払いのけるしぐさをし、「まだ娘が逝く時ではない!」と叫びました。すると彼らは消えてしまい、ナターシャは死にました。彼女は逝ってしまったのです」

お尋ねしますが、天使についてもっと詳しく述べていただけませんか。彼らは絵画などで見慣れたような天使ではなかったのですか。それとも別な全く驚くような姿だったのでしょうか。

「これら5人の天使は本当に驚くような姿でした」と彼は答えた。ナディム氏は若いころ絵を学んでおり、ナターシャの周りに見えた天使はこれまで描かれた天使とは全く違っていたと述べ、次のように説明した。「私が見た存在はとてもはっきりとしており、あなたや私に極めて似ており、同じようなプロポーションをした人間のようでした。彼らは背が高く細身で背中に羽根を付けていました。その羽は羽根毛を持ってはおらず、実際は蝶の羽のようでした。羽根の部分は極めてハッキリとしており、羽根毛のようではありませんでした。このビジョン全体は黄色い光で覆われており、とても明るかったのですが、まぶしいというほどのものではありませんでした。眼を細める必要はありませんでした。それは暖かく迎え入れようとするような光でした。心をなだめるような光でした。でも、生涯に見た中でもっとも強く印象に残るような光だったのです。この物理的な世界ではあり得ないようなものでした。私は『これがそのものです』と明確に描写することはできません。彼らは文字通り輝いており、信じられないほど鮮明で、隅々まで写されている写真のようでした。あなたは『詳しい表現』をお求めでしょうが、私の見たものについてこれ以上語ることができないのです。彼らは一色で覆われており、混じりけのない黄色で身長は20センチ程度でした。その誰もが特に男性とか女性といった性別は見られませんでした。彼ら全員が同じように見えました」。

「私はその日のうちに見たものを描きました。これまでに書物に天使はどのように描かれてきたか、私たちがどう想像してきたかについて吟味すると、天使の姿はその力と強さを示するために決まって太めで大きく力強く描かれています。しかし今やそれを考え直す時期が来ています。私たちの世界ではそれが適っているとしても、他の世界では、あるいは他の所とか天国のような所では、こちらのゲーム上の規則はどんな意味も持ち得ません。ある時には彼らは小さなサイズに見えますが、いつも決まってそのサイズであるわけではありません。そしてこの種の超自然的な現象においては、場所と時代に合わせて現れることが可能です。私は断定的に彼らがどのような形でどのような大きさであるかを述べることはできませんが、私の見たものについては正確に述べることはできます」

「彼らは裸ではありませんでしたし、私たちがそれと分かる、たとえばジャンパーのようなものを着込んでもいませんでした。彼らは様々な布製のものを着ていました。確かに私たちが着るような襟付きのものでしたが、彼らの背には驚くべきことに羽根が付いておりました。これ以上申すことができません。というのは、5人の異なる姿を見たのであり、彼らが動いていて、私を見つめていたからです。微笑んでいたというわけではありません。私はそれらを比較して表現することができませんが、その体験はとても強烈であり、今でも見て生き生きと描くことができます」

どのように動いていたのですか。

「彼らは鳥がするように羽根を羽ばたかせたりはしていませんでした。興味深いことに、羽根は動かないでずっと同じ状態にあり続けました。途中で曲がったり、横に倒れたりしていることはなく、立ったままの状態でした。彼らは私の前で休むことなく動き、かつ浮かんでいました。天使のすべてがそれぞれにナターシャの身体の頭から足先まで動き回っていたのです。ある種の廻り続ける運動は、明らかにランダムに彼ら自身のリズムまたは運動感覚に従って静かになされていました。それらすべてが完全な静寂の中で行われていたのです。羽ばたくこともなく、興奮するでもありませんでした。彼らは自分の仕事をこなしており、自分たちが何をなそうとしているかを知っているようでした。 彼らは待ち続け、それからナターシャが天国に昇るのを手助けしたのです」

「天使たち」の教えを探求する(抜粋)

シャンタル・ピグノー

ギッタ・マラスによる類まれな本、『天使たちとの対話』(注1)は、第二次世界大戦中に4人のハンガリー人の友人たちが体験した、「天使たち」と彼女たちが呼ぶ「光の存在」との邂逅を証言するものである。

本書はまた、ハンナ・ダロスの物語でもある。彼女はヨーロッパが危険で恐ろしい状態にあった1940年代に、「天使たち」によって伝えられた思考やインスピレーション、教えを友人たちに伝えた。18カ月間毎週、こうした「天使たち」はハンナを通して語った。天使たちは質問に答え、指示を出して、それを受け取り実践した者たちの集中的な変容のプロセスを始めた。

ベンジャミン・クレームは、「天使たち」が実際にはイエス覚者、モリヤ覚者、クート・フーミ覚者であり、天使として「変装」していたと示唆している。・・・

「火の言葉」

ある日、ギッタは自分が書いたものをハンナに見せる。明らかに、ギッタが生み出した文章は陳腐な言葉を連ねたものであり、彼女の本当の能力をはるかに下回っていた。ハンナは突然、神聖な怒りによって活気づけられたように感じ、「あなたに話そうとしているのは私ではありません」と友人に言うだけの時間しか持たなかった。彼女はそれから、「火の言葉」を伝える。このようにして対話は始まる。

1943年6月から1944年11月まで毎週、金曜日の午後3時に、彼女たちが「天使たち」と呼ぶ者たちがハンナを通して語る。リリが友人たちに加わる。リリとギッタは筆記者となり、細心の注意を払ってメモを取る。のちに、当初はこの体験から遠ざかっていたいと思っていたヨゼフが参加する決心をした。・・・

持続的な関心への誘い

これは理論的な教えの体系ではない。メッセージはギッタとリリが尋ねる質問への反応という形でもたらされるからである。仲間たちのそれぞれが自分の質問への答えを受け取る。答えの内容は、4人の友人たちが教えを取り込んだり内面化したりして、受け取った勢いを日常的に実践に移しているかどうかに直接関連している。

この教えは普遍的なものである。インスピレーションを受けながら自分の人生を生きる者になりたいと志向する人間に向けて語られているのである。教義や信念や儀式はなく、持続的な関心によって可能になる集中をもって日常の体験を生きることへの誘いである。つまり、自分の人生のあらゆる面によく注意して、それを意識の光の中に置くことである。「あなたの細胞のどれもが目覚めなければなりません」

私たちは皆、喜びと感謝をもって救済の仕事を行います。感謝をもって。

あなたは‘夢想者’から‘覚醒者’へと変容します。

あなたの目標は、あなたを見る人誰もが目覚めるその水準へ己を引き上げることです」

ギッタが天使つまり覚者に質問をしてから少しして、厳しい答えが返ってくる。「‘なぜ ’という言葉を避けて、あなたの仕事を成し遂げなさい。いつも‘なぜ’という言葉なしに!」

広島と長崎のおけるフランシスコ教皇 心に深くとめて相応な行動をすべき時

大堤直人

フランシスコ教皇は、1981年のヨハネ・パウロⅡ世以来38年ぶりに日本を訪れるローマ教皇となった。教皇は2019年11月、1945年の第二次世界大戦末期に米軍によって投下された原子爆弾により壊滅した二つの都市、広島と長崎を訪問した。教皇はこれらの都市から全世界の人々に向かって、兵器を放棄して、真理を基盤とし正義に従って平和を構築する必要性についての力強いメッセージを送った。・・・

若い頃、教皇が日本で働きたかったのは、フランシスコ・ザビエルを介して日本にキリスト教をもたらしたイエズス会に所属していたことも一因であった。しかし、21歳の時にこの若いイエズス会員は肺炎を患った。右の肺の一部を除去する手術に耐えなければならなかったのである。このため、彼は日本に伝道者として派遣されるのをあきらめざるを得なかった。

しかし教皇は、日本人が原爆により被った荒廃と苦痛を忘れてはおらず、次のような方法で平和の重要性を伝える努力をした。2018年に、原爆投下直後に長崎で撮影された1枚の写真のコピーを記者や教会関係者に配ったのである。その写真には、死亡した幼い弟を背負って焼き場で火葬の順番を待つ少年の姿が写っていた。その写真の裏には「戦争がもたらすもの」と書かれていた。翌年、教皇の日本訪問の希望は実現した。他にも理由があったが、「激しい暴力の犠牲となった罪のない人々を思い出す」ためにも、教皇はそこに行かなければならないと感じていた。教皇がこの日本訪問のために選んだテーマは、「すべてのいのちを守るため」であった。

75年前に大量の熱線と放射線によって7万4,000人以上が死亡した長崎における演説で、フランシスコ教皇は国際平和のために必要なことを私たちに告げた。「国際的な平和と安定は、相互破壊への不安や、壊滅の脅威を土台とした、どんな企てとも相いれないものです。むしろ、現在と未来のすべての人類家族が共有する相互尊重と奉仕への協力と連帯という、世界的な倫理によってのみ実現可能となります」。教皇は次のように述べて、民衆の声を代弁した。「核兵器から解放された平和な世界。それは、あらゆる場所で、数え切れないほどの人が熱望していることです」。さらに、超大国間の対立や核軍縮条約を軽視しようとする風潮を意識しながら、次のように警告した。「核兵器禁止条約を含め、核軍縮と核不拡散に関する主要な国際的な法的原則に則り、飽くことなく、迅速に行動し、訴えていくことでしょう」

お金や貴重な資源は、「人間以下の生活」を強いられている何百万という人々を助けるために使われるべきであり、私たちは軍拡競争に資源を浪費する代わりに環境問題に対処すべきだ、とフランシスコ教皇は訴えた。教皇は今一度、私たちに次のことを認識させてくれた。「今日、わたしたちが心を痛めている何百万という人の苦しみに、無関心でいてよい人はいません。傷の痛みに叫ぶ兄弟の声に耳を塞いでよい人はどこにもいません」

同じ日の夕方、フランシスコ教皇は広島へと移動した。1945年の核攻撃で少なくとも14万人が死亡したこの都市で、教皇は数名の生存者と会った。梶本淑子さんは、原爆が投下された時、14歳だった。「外に出ると、周りの建物はすべて破壊されていました。夕方のように暗く、腐った魚の臭いがしました」と、平和記念公園内で自分の近くに座る教皇に語りかけた。梶本さんは人々の様子を次のように描写した。人々は「幽霊のように連れ立って歩いていました。全身が焼けただれて、男か女かも区別がつかないほどでした」。この世界の誰も、あのような地獄の光景を想像することはできない、と彼女は付け加えた。

教皇はそこでの演説の中で、すべての犠牲者を記憶にとどめ、「強さと誇り」をもって生き抜いてきた生存者に深く敬意を表すると述べた。教皇は次のように表明した。「慎んで、声を発しても耳を貸してもらえない人々の声になりたいと思います。現代社会が直面する増大した緊張状態を、不安と苦悩を抱えて見つめる人々の声です」。彼は核兵器の犯罪性と非倫理性について次のように強調した。「確信をもって、改めて申し上げます。戦争のために原子力を使用することは、現代において、犯罪以外の何ものでもありません。人類とその尊厳に反するだけでなく、わたしたちの共通の家の未来におけるあらゆる可能性に反します。原子力の戦争目的の使用は、倫理に反します。核兵器の保有は、それ自体が倫理に反しています」

演説の終わり近くで、教皇は次のように心から叫ぶよう私たちに促した。「戦争はもういらない! 兵器の轟音はもういらない! こんな苦しみはもういらない!」と。そして、教皇はキリストへの次のような呼びかけで演説を締めくくった。「平和の君である主よ、来てください。わたしたちをあなたの平和の道具、あなたの平和を響かせるものとしてください!」

シェア・インターナショナル2020年1月号
印刷版全内容

  • 覚者より 新しい日
  • 今月号内容概説
  • 気候を破壊する化石燃料への投融資を引き揚げるよう、ロンドンおよびニューヨーク市長が世界のすべての主要都市に要求する 「都市を移動しなければならないなら、資金を移送しよう!」
    ジェシカ・コーベット
  • 生態学と霊性  
    ドミニク・アブデルノール
  • 神の到来の兆し――平和の王子の出現
  • ベンジャミン・クレームの盗まれた絵画作品が見つかり、国際的な注目を集める
  • 強いが柔らかな光の中に顕れた5人の天使
  • チリでの左派の勝利を世界中が祝う 
    ジェイク・ジョンソン
  • 時代の徴 空の徴 他
  • アグニ・ヨガの教えにおけるマイトレーヤ
  • ゴータマはマイトレーヤを予言された
  • 「天使たち」の教えを探求する 
    シャンタル・ピグノー
  • 広島と長崎におけるフランシスコ教皇 心に深くとめて相応な行動をすべき時 
    大堤直人
  • 編集長への手紙 スペシャルな旅路 他
  • 読者質問欄 回答 ベンジャミン・クレーム

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