シェア・インターナショナル 2024年4月号

シェア・インターナショナル誌のオンライン版では、印刷版からの抜粋を紹介しています。各オンライン版には、ベンジャミン・クレームの師による完全な記事が含まれています。幅広いトピックをカバーする他の記事のほとんどは抜粋です。オンライン版には通常、Q&A、読者からの手紙、マイトレーヤ臨在の徴の写真も含まれています。

印刷版の目次は、ページの下部をご覧ください。

ベンジャミン・クレームの師によって書かれた記事を三つも掲載するのは行き過ぎのようにも思えるが、現在、世界に何が起きているかを考えてみるべきである。戦争、混沌、絶滅、死が、妥当で正当化される選択肢として、多くの国の政府の方針としてさえも、考えられているようである。そのため、反応してくださる読者がおり、正気が優勢となるのに役立つことを期待して、知恵の覚者からのこれらの言葉を掲載したい。

contents

戦争の冒涜

-覚者より ベンジャミン・クレーム筆記

 前世紀に、世界は二度、全面戦争に、すなわち一つの戦争の二つの恐ろしい局面〔訳注=第一次と第二次世界大戦〕によって震撼させられ、何千何百万人もの犠牲者を出した。それぞれが「戦争を終わらせるための戦争」となるはずであった。しかし、いまだに、さらに強力な破壊力を持つ兵器で、もう一度、力比べをすることを企み、計画する者たちがいる。戦争は何事も解決せず、何も証明せず、地球の住民に苦痛と喪失を加えるだけにすぎないということに人間が気づくまで、一体どのくらいかかるのか問わねばならない。

 覚者たちが日常世界に戻る大きな理由は、まさに人々にこのことを思い出させ、戦争に永久に背を向けるように人間の思考に影響を与えるためである。今日、非常に多くの国が、人間がかつて考え造り出した最も破壊的な武器である核兵器を保持しており、将来の大きな戦争は最大の惨事となるだろう──すなわち地球という惑星上のいのちの完全な破壊である。何百万年もの間、地球は死んだ惑星、有毒廃棄物となるだろう。人間自身はどこかの暗い、遠くの世界に転生しなければならず、再び光の中に入るための、長い長い旅路を歩まねばならないだろう。……

(シェア・インターナショナル誌2009年9月号)

裂開の剣を創造する

──覚者より

  ベンジャミン・クレーム筆記

人間が示すことのできる最高の特質、あるいは最悪の特質を体現する人物が、時々、人類の中に現れる。そのような人物は最も人々に愛されるか、最も憎まれるようになる。いずれにしろ、彼らは通常、大勢の信奉者や帰依者を自分たちに引き付ける。そのような人物は大多数の人間にとって、途方もない磁力的なアピールを持つか、時によっては、大規模の破壊的な力(パワー)を奨励する手本である。歴史の本は両方のタイプの例で満ちている。

今日、両方のタイプについてのたくさんの例が世界中に非常に多く顕現している。この顕現の影響は人類の前に二つの対立する行動路線を置いており、人類の将来を決定する選択について緊張をつくり出している。聖書の言葉を使えば、これは「裂開の剣」である。長年の間、マイトレーヤから放出され、そして方向づけられてきたエネルギーは、そのような対立するものの対決を促そうとしてきた。それは多くの人々にとって確かに不思議に思えるかもしれないが、人類がその将来のために正しい選択をすることは非常に重要である。そうでなければ、将来はまさに荒涼たるものであろう。

「裂開の剣」はわれわれが「愛」と呼ぶエネルギーである。マイトレーヤによって振るわれて、それは「兄弟を兄弟に対立させ」、至るところに住む人間のまことの神聖な意識を試す。すべての進化の究極的な目標は地上に「神の王国」を確立することであり、「裂開の剣」は人間にその道を示す。

マイトレーヤの教えは単純である。彼の優先事項はすべての人間にとって明らかであるように思えるだろう。残念ながら、そうではない。分かち合いとすべての人間のための正義(公正)の当然の結果として、平静で平和的な活動の将来をマイトレーヤは示されるのである。「誰も欠乏することのない世界を、二日と同じ日が繰り返されない世界を、すべての人間を通して同胞愛の歓〔ルビ:よろこ〕びが顕現する」世界、いかにして、そのような希望のメッセージに反駁することが可能なのかと思うかもしれない。それがすべての人間によって切望されている将来ではないのか。それは大多数の人間によって望まれている将来である、しかしすべてによってではない。人類は進化の梯子のそれぞれ異なった段におり、ある一定の段より上にいる人間にとっては、すべてが良い前兆である。しかし、自分たちの神聖な真我についてその程度までいまだ顕現していない者たちが、分かち合いは神聖なことであり、正義と正しい関係は神聖なことであることを認めないのであり、神(神性)を競争と葛藤として見て、人間の価値を自分の金の重さによって測るのである。

多くの人間が恐れ、苦しんでいる──仕事も将来への希望もなく、彼らは一日一日を苦闘する。しかし、その他の多くの者たちは自分たち自身のための将来をつくっており、そしてまた多くの者たちがその過程の中で死んでいる。世界中で、人々は、自由と正義をその中核においたより良い生活の可能性に目覚めつつある。恐れるでない、民衆の声は高まっており、接触伝染のようにますます多くの人々に影響を及ぼしている。自由、正義、そして人間の和合という真理のために生きる──あるいは死ぬ──人々の背後にマイトレーヤは立っておられる。若者が道を先導する、そしてその将来は彼らのためにある。

(シェア・インターナショナル誌2011年10月号)

編集部より

今でなければ、いつか?

私たちでなければ、誰か?

この記事のタイトルの中には歴史があり、その歴史における私たちの立場も示されている——したがって、私たちの責任も明らかにされている。
毎朝、ニュースの見出しが目に飛び込むたびに、きっと何百万もの人々が自問しているだろう。「なぜ全世界は大きな抗議の声を上げていないのか」と。どんな悪夢をも上回るような恐ろしい光景がスクリーンに映し出される。私たちは、人間であるとはどういうことか、法の支配とは何を意味し、かつては何を保証していたのかについて、新しい堕落した定義を受け入れるしかないのだろうか。いにしえの悪が地球上に解き放たれている。どう対応すればよいのか。
私たちはある疑問にさいなまされているに違いない。目撃者として加担してしまっているのだろうか、という疑問である。今世界に放たれている際限のないように見える堕落を助長しているのだろうか。この時代の毒を私たちの体から抜くために活用できる解毒剤はあるのだろうか。

「ハーグのシュマグ」
現在、種々の傾向や緊張が重なり合い、大半の文化や国が情け深い文明の証として大切にしている多くのものを犠牲にして、否定的なものが栄える風潮がつくり出されている。 多くの人にとって、現代はとりわけ暗い時代のように見える。 今や、いっそう露骨な要素が、堂々と何のおとがめもなく世界の舞台を闊歩している。 特定の立場に飛びつき、狂信的に信奉することにより、霊的な価値や崇高な価値に対する陰湿な攻撃が目の前で繰り広げられているが、これは二極化の過程の一部である。残虐行為、派閥争い、犯罪行為への傾向によって価値観が歪められている汚職、女性蔑視、 ファシズムが常態化している。政治家や大統領、 選挙で選ばれた代表者が、民族浄化や女性虐待、 全住民の侮辱や壊滅について明言する。 あたかもそれが普通であるかのように。 最高の国際法廷 (ハーグにある国連国際司法裁判所)への明確な反抗は、どうやら 「問題ではない」ようで、この法廷は「ハーグのシュマグ (独り善がり)」などと揶揄されている。 民間人を虐殺し、 人々を飢餓に陥れ、 清潔な水や医薬品を奪い、 より良い生活を手に入れようとする人々を砂漠や 密林、川や海で死に至らしめるこのすべてのことも完全に受容されているように思える。

ジュワルクール (DK) 覚者は1940年に、 『ハイラーキーの出現」の「来たるべき世界秩序」という項で、当時(「戦時中」)の混沌の起源について疑問を提起している。 ジュワル・クール覚者はこう警告している。「全体が罪を負っていることを認識し、悪い事態を招いた責任を分担しなければならない」と。しかしここで、おそらく思いがけない課題が突き付けられている。 「ヒトラーとその悪人たちの一味に戦争を惹起する傾向があるとしても、そのせいで、ヒトラーの悪業を可能にした原因を見失うべきではない。・・・・ この蔓延している悪の原因は人類そのものに内在している」
私たち全員以外に誰がいるだろうか。 こうした真実を受け入れることができなければ、解決は果たして可能だろうか。 いつも「彼らのせいに」していれば、和解や妥協はあり得ないいつも敵がいるに違いない。
この真実が私たちの出発点とならなければならないが、一人ひとりの意識の進化や転生の歴史は異なっている。 世界の人口は、非常に大まかに三つのグループに分けることができる。 ジュワル・クール覚者は次のように描写している。「霊的で自由な生き方へと向かう傾向があり、第二に、知的な開花へと向かう傾向があり、最後に、『物質的な生活や侵略へと向かう強力な傾向」である」。 現在の私たちの問題は、これが依然として真実であるということである物質主義が蔓延しており、大雑把に言えば、物質主義に傾倒する知的階級によって増幅されている。 「相反する対をなすもの物質主義と霊性の戦いは熾烈を極めている」 (アリス・ベイリー 『ハイラーキーの出現(上)』 AAB ライブラリー)

ベンジャミン・クレームと彼の師が述べたよう に、「人類は商業至上主義によって首根っこを押さえられている」。 商業至上主義は陰湿であり、 「どのような核爆弾よりも破壊的」であるとマイトレーヤは描写した。 これは、現在の文明よりも古い破壊的エネルギーの最新の形態である。 それは、自己陶酔的な特性を持つ欠陥のある人格、 そうした勢力に利用されやすい異常にうぬぼれの強い者たちを通して働く。 私たちは皆、 脆弱であるが、それは特に、欠陥のある人格の中で、そう した人格を通して働く。 それは、世界中の多くの 徒党の中にその錨を下ろしている。….

ジュワル・クール覚者による次の文章は、第二次世界大戦直後に書かれたものであるが、 その警告と教訓はいまだに今日的な意味を帯びている ―おそらく今だからこそ、これまでにないほどに。
「人類は試練を乗り越えてきました。… それらの試練は困難かつ残酷であり、まだ完全に終わったわけではない。 来たるべき危機において、 真のビジョンと新しい自由に加えて、より広い霊的な視野が達成されるかもしれない。 危機は、 正しく扱われるならば、 再び究極的な恐怖に達するには及ばない」….

「人類には(すべての弟子たちもそうであるが) 自らの運命を決める完全な自由が与えられなければならない。 人類はすべての弟子たちが習得しなければならない困難な教訓をまだ学び終えていない。それは、魂が機能し、 肉体脳が絶えずこの事 実を認識する人間の二重生活という教訓である」 (アリス ベイリー 『光線とイニシエーション (上)』 AAB ライ ブラリー)
ジュワル・クール覚者はこの最後の文で、 私たちの道徳的危機によって提起された疑問への答えを提供している。私たちは転生している魂として生きることを学ぶ必要がある、 ということである。 そうすれば、私たちは「ハーグのシュマグ (独り善がり)」といった態度を誇示したり、 ジェノサイド(大量虐殺) を許したり、エコサイド (大規模な環境破壊行為)を一笑に付したりすることはできないだろう。自己満足に浸っていることはできないだろう。そうした自己満足こそが、 私たちを加担者にしているのである。
したがって、一つの解決策は、 「大計画」 つまり 「宇宙の諸法則」 「法の支配」に反するすべてのものに対して、 可能な限りのあらゆる方法で行動を起こし、 道徳的な立場を取ること、 抗議活動やデモ行動に参加することであるに違いない。 人権法、 国際的な条約や協定、日常生活を支配する法律は、「大計画」と「宇宙の諸法則」 のかすかな反映である。 できる限り正しい関係の中で 暮らすことができるようになるための試みである。 私たちは明らかに、 正しい関係を築くことができていない自分たち自身とも、 大生命そのものとも。
「正義と平和への道は容易に解決できる。 単に分かち合いを受け入れることのみを必要とするのである。 分かち合いなさい、 そして未来を知りなさい。分かち合うことを拒否するならば、人間に未来はないだろう。

我が友よ、簡素に生きることを、そしてお互いを本当に愛することを学びなさい」
(2008年10月26日、 ドイツのミュンヘン市でのテレ ビ局のインタビューの録画中に、 ベンジャミン・クレームを通して与えられたマイトレーヤからのメッセージより)
ベンジャミン・クレームのコメントと説明については、シ ェア・インターナショナル誌2023年11月号、 12月号、 2024年1月号 2月号 3月号の読者質問欄もご覧ください。

読者質問欄

世界中のあらゆる講演において、そして生涯のほぼ毎日、ベンジャミン・クレームは広大な範囲に及ぶ大量の質問を受けてきた。この大量の記録から、過去の年月にベンジャミン・クレームと彼の師である覚者によって提供された回答を掲載したい。

罪悪感、恐怖心、無邪気
「世界の衆目の前での公正な開かれた裁判を通してのみ、人々の有罪・無罪は知られる。人々をこのような残虐な行為に追いやる条件に対する何らかの責任を受け入れることによってのみ、それは克服される。失うべきものを何も持たない人間は、他人や自分の生命に対して何の価値も置かないのである」
(ベンジャミン・クレームの師、「憎しみの潮流の向きを変えなさい」、シェア・インターナショナル誌2001年11月号)

Q:世界は今こそ前進して、第二次大戦の恐怖を忘れることなく、それを全面的に認めながらも、国際社会に対する罪悪感から自由になるべきではないでしょうか。世界は感情的な脅しに弱く、そのためにイスラエルの不正な要求に盲目になっているというのは正しいでしょうか。このことが、イスラエルとアラブ世界に対して世界が取っている明らかなダブル・スタンダード(二枚舌)の基礎になっているのではないでしょうか。アラブ世界はこの二枚舌に怒り、不満を持っています。これがテロリズムの基盤になっているのではないでしょうか。

A:はい、それがおおむね真実であることに同意します。
(シェア・インターナショナル誌2003年6月号)

Q:マイトレーヤの優先順位の中に「罪悪感と恐怖心の除去」というのがあります。あなたは過去に「恐怖心」についてはお話しくださいました。罪悪感の除去と克服について少しお話しいただけませんか。

A:罪悪感と恐怖心とは非常に関連を持っています。罪悪感は恐怖心の結果です。恐怖心を起こす根本的な状況もまた罪悪感を生みます。恐怖心は、罪を犯したということの恐怖です。それはキリスト教グループによる過去2,000年間の間違った教えの結果です。それが恐怖心と罪悪感を10億のキリスト教徒(の心)に植え付けたのです。転生してくるたびに、彼らは同じこと、──つまり、罪悪感を植え付ける恐怖心と、恐怖心を植え付ける罪悪感──そしてそのような教えが自己尊敬の念にもたらすひどい結果に出合うのです。それが、他の宗教的伝統の人々の心を満たしている無数の古来からの迷信とあいまって、恐怖心と罪悪感が意識の覚醒に向かう道の強力な妨害となるのです。
マイトレーヤの時間の大半は、恐怖心と罪悪感を人類から取り除くことに用いられるでしょう。彼はそれをただ単に操作して取り除くのではなく、彼の教えがその恐怖心と罪悪感を取り除くように目論まれるでしょう。彼は道を示されました。皆さんはそれをすでに知っているのです。恐怖心と罪悪感を取り除く方法は、三つのテクニックを実践することだ、とマイトレーヤは示唆されます。あなた自身に、心の正直さ、生気の誠実さ、そして無執着を染み込ませ、獲得し、構築しなさい。もし熱心に正しく行えば、これらは必然的に無執着を構築し、その中では恐怖心や罪悪感は消えてなくなるのです。
もしあなたが執着していないなら、あなたは罪悪感や恐怖心から自由なのです。他にありようがないのです。罪悪感と恐怖心は執着の中から存在するのです。
もしあなたが自分の信仰──キリスト教、イスラム教、仏教──に執着していて、その信仰に反することをするなら、罪悪感と恐怖心で生きているのです。例えば、ローマカトリック教徒は、婚外セックスをしてはならないと教えられ、さらに結婚相手とも避妊具を使ってはならないと教えられています。しかし、何百万というカトリック教徒はそうしています。だから、彼らは自分たちの行為によって植え付けられた罪悪感の中で生きています。
ローマカトリック教徒にとって、これはとてつもない内的葛藤なのです。婚外セックスをしてはならない、教会内で二度結婚してはならない、避妊は罪であると法王によって定められたローマカトリック教会の規則に従わなければならないのか。 もしカトリック教徒が、法王の言うことを信じれば、彼らは常識ではこれは悪いことでも罪深いことでもないと分かるので、問題を抱えることになります。彼らは植え付けられた罪悪感と天罰の恐怖におののくのです。
マイトレーヤは良識を語ることで、この罪悪感を人類から取り除くでしょう。あなた方は無執着を実践することで自分でそれを自身から取り除くことができるのです。それはすべて無執着に関係しています。天罰を恐れるゆえに天罰に執着していれば、罪悪感を感じるのです。執着していなければ、恐怖心はありません。罪悪感もありません。
間違った行為というものはあります。けれどもそれは正すことができるのです。カルマの法則がすべての行為を正します。それは非常に慈悲深い法です。あなたが破壊的な間違いを行ったとき、カルマの法則を通してあなたが自分自身にもたらしたその結果によって変えられるのです。それは結果であって、天罰ではありません。
カルマの法則とは、あなたに罪悪感を感じさせるものではありません。それは単にあなたに法則を与えるだけです。「蒔いた種を刈り取る」のです。あなたには思考があり、行動があります。あなたが始動させたこれらの原因から生じる結果が、人生を良くも悪くもするのです。あるものは良く、あるものは苦しいでしょう。しかしそれは自分でやったことなのです。天罰というものはありません。カルマがあるのです。その法は均衡を取ろうとしている、つまり蒔いた種を刈ろうとしているのです。人々がカルマの法則を本当に理解することができるように、マイトレーヤはそれを現実に見せてくださるでしょう。最善の行為は無害な行為であることを人々は知るでしょう。なぜなら、そうするとあなた方は無害の結果、創造的な結果、良い結果を摘み取ることになるからです。良いカルマを皆さんは持っているのです。
(シェア・インターナショナル誌2007年2月号)

編集長への手紙

シェア・インターナショナル誌には、手紙の保留分が多数あり、それらはベンジャミン・クレームの師によって、覚者方あるいは「代弁者」との本物の出会いであると確認されたが、いまだ掲載されていない。
その他の掲載された手紙は新しいものである。覚者が関わっているかどうかを確認すること、もしくは示唆することもできないが、その体験が希望、鼓舞、慰めを提供することで「それ自体が語る」ということがあり得る。読者の考慮のために、これらの手紙は提供されている。

慰めと保護

2024年2月15日、とても風変わりな方法で気持ちを高揚させるメッセージに出会いました。その二日前にさかのぼって、説明を始めたいと思います。サイババとマイトレーヤ(1988年、ナイロビ)の写真を見つめながら、私は聖なる指導者たちに霊的な強さを求めていました。喉の感染症から少しずつ回復しているところでしたが、同時に内なるつながりが途絶えた感じもしていました。私には物質的なレベルを超えた『元気づけ』が必要だったと言えるでしょう。
私は何年にもわたって、心の内で何度も、物質的な徴は本当に必要ではないとマイトレーヤに伝え続けてきましたが、そのような出来事に対して常に心を開いてはいます。そうした徴は、覚者方の公の出現という私たちの希望の情報を強化する助けとなり得るからです。その瞬間には、明白な性質のものを切実に期待することなく、微妙な形での徴を求めていたのだと思います。
ちょうど仕事が終わったところでした。駐車場を通って自分の車に歩いて近づいていきながら、特製のナンバープレートホルダーを見つめました。そこには二つの文字列がありました。一つはプレートの上に、一つは下にあって、「平和には分かち合いが必要」「S.O.P.──われわれの惑星を救え!」と書かれていました。この文字はかなり小さくて目立たないものでしたが、ときどき職場では人目が気になり、どれだけの人が気づいただろうか、「分かち合い」という言葉についてどう思うだろうか、過激な社会主義と誤って解釈する人がいるだろうか、と思うことがあります。
車のドアハンドルのところに来た時、運転席の窓に明るい色の付箋が付いているのに気づきました。即座にそれが聖書の一節だと分かって、伝統固執主義のキリスト教徒が他の車にも同じような付箋を貼ったのではないかと推測しました。けれども、駐車場を見回してみても、他の付箋は見当たりませんでした。それで、注意してメッセージ全部を読みました。普段なら、旧約聖書は私がインスピレーションを求めて最後に頼る所ですが、誰であったとしてもこれを置いた人は、どの言葉を書くのがふさわしいか、どのように提示したらよいかをまさしく知っていたのです。
「強く、また雄々しくあれ。恐れてはならない。彼らのゆえにうろたえてはならない。あなたの神、主は、あなたと共に歩まれる。あなたを見放すことも、見捨てられることもない」(申命記31章6節)
知恵の覚者あるいは側近の一人が、この出来事の背後におられると証明することはできませんが、そのようにタイムリーで完璧に作り上げられた付箋をこのような形で『普通の』人が置いたと想像することは、ほとんど不可能なのです。これは実際に私たち皆へのメッセージです。愛の主が「あなたと共に歩まれる」のですから。
アンディ・モーガン
米国、テキサス州アーリントン

呼びかけ

私たちの情報をウェブサイトだけで受け取る人が増え、シェア・インターナショナル誌を購読するためのわずかな費用を惜しむ人が増えていることに気づきました。

誰もがインターネットを使えるわけではないし、そうであるわけでもありません。つまり、印刷された雑誌が必要です。もちろん、それにはボランティアによる多くの作業と、制作・配布のための多くの資金が必要となります。ハイアラキーはこの仕事のためにお金を出しているという考え方があるかもしれませんが、そうではありません。シェア・インターナショナルの購読料は、私たちの活動を維持し、一般の人々に届けるために不可欠なものです。購読料は可能な限り低く抑えられており、雑誌は広告による補助を受けておらず、印刷代や郵送料は常に値上がりしています。

インターネット上の情報を読む読まないにかかわらず、この活動を真剣に信じるすべての人が、この雑誌を支援したいと思うことは、きっと誰もが認めることでしょう。

ご支援ありがとうございました。

時代の徴

ベンジャミン・クレームの師によって確認されていない「希望の徴」と「時代の徴」をここに掲載する。それらの「奇跡的な」特性を検証することはできないため、判断は読者に委ねたい。

星のパフォーマンス

この「星のようなUFO」は、いつも夕空の低い位置にあり静止しているが、地球の自転に伴って星空と共に南から西へとゆっくりと移動している。もちろん、実際にレンズを通して見ると、真夜中頃に次々と撮影されたこれらの画像は、静的なものを写したものではなく、地球の大気圏外にある非常に強力な光源によるとてもダイナミック(動的)な光のショーを写したものである。空が晴れている必要があり、撮影の際には、三脚につけた超高倍率コンパクトカメラが必要である。空を見上げて、より進化し、文明化し、テクノロジーの面で進歩した者たち、宇宙の兄弟姉妹たちに私たちは助けられているのだということに気づくとき、私はいつもハートチャクラに、確証を、つながりを、愛のエネルギーの流れを感じる。
これは、私が長年にわたって撮影し、ベンジャミン・クレームの師である覚者が「マイトレーヤの星」だと確認した「星」と同じものである。それは実際には、巨大な宇宙船であり、宇宙の兄弟たちによって派遣され、有人で運用されている4機のうちの1機である。それは、同じく宇宙船であった「ベツレヘムの星」が、イエス覚者が幕開けした双魚宮の時代の教師の存在を示していたのと同じように、途方もない何か、あるいは誰かの存在を人々に知らせることが期待されている徴である。
コルネ・クワテル
オランダ、アムステルダム、2024年2月12日

大計画――選集

The Plan──a compilation

大計画というテーマに関する引用文の選集を掲載する。引用文は、マイトレーヤのメッセージ(『いのちの水を運ぶ者』)、ベンジャミン・クレームの師の言葉(『覚者は語る』第Ⅰ巻、第Ⅱ巻)、およびベンジャミン・クレームの著書から抜粋したものである。

大計画は単に偉大な宇宙的存在者のマインドの中にある何か曖昧〔ルビ:あいまい〕な宇宙的概念ではなく、私たちの生活に厳密に関連性を持つものです。それは正しい人間関係に関わりがあり、したがって政治、経済、宗教、科学、教育、それから貧しい人たちに食べ物が十分あるかとか、貧困者が多過ぎはしないか、富裕者が多過ぎはしないか、貧富の格差が大き過ぎはしないかに関係するものです。
これらのすべてが神の大計画の一部です。神の計画は従わなければならない一定の規則ではなく、私たちの生活の霊的基盤の中心にあるものなので、それ自体に内的美、つまり内的関連性を持つアイディアなのです。私たちが正しい関係を実施するとき、私たちは自動的に機構──政治、経済、社会──を創造します。それが計画を実施することを可能にするのです。
(『大いなる接近』)

 この計画はどこから来たのですか。どこかに権威のある存在がいて、「これが人類の計画だ、そして最終的にはこうなるのだ」と言うのですか。
クレーム:本質的に、大計画はこの惑星のロゴス、つまりこの惑星に魂を吹き込んだ天帝から発します。彼は、ゴビ砂漠にあるシャンバラと呼ばれる高位エーテル界のセンターで世界の主として御自身を現されます。神の大計画は、シャンバラから発します。そして、仏陀によってシャンバラから私たちの霊ハイアラキーの覚者方にもたらされます。覚者方は人類を通して大計画を実行に移そうとします。覚者方は大計画の一部を彼らのさまざまなイニシエートや弟子、世界の男女に与え、それを彼らが実行していくなかで世界に変容が起こり、大計画が実現します。覚者方はまたこの惑星に流入する霊エネルギーの管理者であり、それを大計画を推進するようなやり方で放出していきます。人類は、それが存在することを知らなくともこれらのエネルギーに反応します。これらのエネルギーは私たちの理想となる特定の偉大なアイディアを形成します。私たちがこれらのアイディアを実現していくにつれて、時代から時代、周期から周期を通じて進化の計画は進行していきます。
(『死海文書と義の教師』「不朽の智恵の教え」より)

真理はあなたがたの中に存在する。真理はあなたがたの心の中にある。真理は、我が友よ、兄弟姉妹よ、愛と分かち合いと正義と自由である。これらをあなたがたの生活や社会の中に具現し、神の大計画を再確立しなさい。
(『いのちの水を運ぶ者』第93信より)

民主主義だろうがなんだろうが、ただ一つの統治形態が普及すべきだということは、進化の大計画ではない。人間の必要は、イデオロギーよりもずっとリアル(現実)であり、より重要である。相違に対する寛容さは統合させ、イデオロギーは分割させる。
したがって、マイトレーヤが公に話をされるとき、多様性の中の和合が将来の調和への鍵であることを示されるだろう。すべての国家がそれぞれにユニークで神聖なる運命を持つことを示すであろう。マイトレーヤは、この幸いなる状態を達成するための道を示され、人間が大計画についてより賢明に理解するために彼らのハートを開くように鼓舞されるだろう。
(『覚者は語る 第Ⅱ巻』─多様性の中の和合─より)

マルク・アンドレ・セロス著
『世界の起源: 土壌を脅かす人のための土壌の自然史』

ドミニク・アブデルヌールによる書評 第一部

マルク・アンドレ・セロス氏は微生物学者であり、生態学者であり、教師でもある。パリの国立自然史博物館、ポーランドのグダニスク大学、中国の昆明学院で教授を務める。彼の研究は、互いに有益な関係(共生関係)にあるものの生態学と進化に焦点を当てている。
セロス氏は、著書『地球の起源(L’origine du monde)』や『小さな自然史(Petites histoires naturelles)』、そしてYouTube動画で、生命あふれる土壌の役割、人間がいかに土壌をひどく扱っているか、そして土壌が気候変動をどのように悪化させるか、あるいは抑制するのに役立つかについて説明している。第一部では、土壌の組成とその土壌に生息する生物について取り上げる。第二部では、人類が土壌に与える影響と、土壌が気候変動に与える影響について考察する。

土壌とは、地球の岩石圏(地球の半径6,371km)と大気圏(厚さ100km)の間にある薄い層のことである。その深さはコンマ数ミリから10メートルにもなる。チェルノーゼム(黒土層)のような最も肥沃な土壌は、一般的に温帯気候の国々の肥沃な平野の土壌の深さ1~2メートルにある。生命を維持する薄い層である。鉱物界、植物界、動物界の接点であり、大型哺乳類や第四王国である人間界が生きることを可能にする。土壌はその歩みを支え、食料を供給する。….

土壌の中の動き

私たちは長い間、土の上に家を建ててきたので、土壌は固くて変わらないように見えるかもしれないが、さまざまな動きもある。

まず、植物の腐植によってくっついておらず、植物の上部によって保護されていない粒子が、風によって他の土壌に運ばれる場合、水平方向の動きが起こる。あるいは、流出水によって濁ったように見える川に土が運ばれると、そこで海岸線を肥やして魚の餌となる場合である(沿岸海域は、有機物が海底に沈んでいる深海に比べて魚が豊富である)。

土壌は垂直方向にも移動する。それは土壌中の小さい穴や、ミミズ、線虫(小さいミミズのこと)、アメーバ、細菌など土壌に生息する多くの生物が掘った垂直の穴によってなされる。生物が排出する有機物が土壌を良くする。

ミミズは毎日、自分の体重の20倍の土を食べる。肥沃な平野の土壌全体が、3~5年毎にミミズを通過する!(これは深さ1~2メートルの肥沃な地層に相当する) ミミズは糞の中に、有機物と粘土の、密接で非常に安定した結合体を形成する。この有名な粘土腐食質複合体は、その物理的・化学的特性によって土壌の肥沃度に大きく貢献し、土壌を安定させる。
アリとシロアリは、年間1ヘクタール当たり1~50トンの土壌を移動させる。混ぜ合わせる作業を絶えず行って土壌に空気を送り、有機物を下方に、鉱物質を上方に運ぶ。また、自らの粘液で地下通路を安定させる。
生物のこうしたすべての動きと複雑な化学的プロセスは、耕作や植物保護剤よりも格段に土地を肥沃にし、長持ちさせる。
「結局のところ、岩石、有機物、大気の間のこうしたすべてのつながりが、ミミズ、アメーバ、根、菌糸など、物体を動かす生命によって統制されている。土壌は泡立てたクリームのようなものである。そして、土壌の中のこれらすべての生命が土壌に穴を作る。それは生命を維持するための気体と水が循環する穴である」….

霊的成長における瞑想と奉仕

ベンジャミン・クレーム

内向的か外向的か
近代心理学では、人間を二つのタイプに分類している――黙考的人間と行動的人間、 つまり内向的パーソナリティーと外向的パーソナリティーである。秘教心理学もまた、人生に対する人々の対処の仕方のこのような違いを認める。 しかし、秘教心理学は、特徴的に、分析よりも統合を目指すものであるから、それらの違いの 究極的統合を見る。 秘徒にとって、 内向的な人間とは注目を魂に向けて裡に集注し、自分自身の魂の側面との接触を上手にまた容易に行 い、その接触を深めるためのより科学的で系統だった手段としての瞑想に魅かれる。しかし彼らにとって外界との接触はやや断片的であり、それは物質界での表現や機能の困難さにつながる。
他方、 外向的人間とは外界との接触は強く活発であり、 人々や場所と関わるのにほとんど困難を感じない。 しかし魂との接触は限られ、ほとんど無意識である。 彼らの注目は外に向けられている。
われわれの魂は両方のモードを発達させ、完成させるように乗り舟を、すなわちわれわれの パーソナリティー(肉体人間) をつくり、 何度も何度も転生を繰り返す。 進化の目標はその二面を究極的に統合することである魂との絶え間なき直接の接触そして一体性であり、さらに、意志すればいつでも、外的世界の人々や出来事に自由自在に呼応する。 これが理想であり、それを達成したものがイニシエートである。

二つの道
この統合へ導く手段は瞑想と奉仕の対である。 瞑想を通して魂との接触は深まり、 強められ、 徐々に魂によってパーソナリティーの融合がもたらされる。 魂のエネルギーと属性霊的意 志と愛と知―――が肉体人間を通してますます顕現し、その二つが完全に融合するまで続く。
奉仕を通して魂の目的は遂行される。 魂の特性は奉仕することであり、 それは利他的な奉仕のみを知る。 その意志と愛と知のすべてをもって、ロゴスの大計画の奉仕に供することを求める。魂はロゴスの反映である。 パレスチナにお いて、キリストは魂の事実を明らかにし、 そして神を実現するための最高の方法として奉仕の道を教えられた。
今日もこれは真である。 われわれのパーソナ リティーの生活の大きな錯覚は自分が宇宙の中 心であるという存在感である。 われわれにとってわれわれ自身が主な関心であり重要なのである。
自分中心から意識を他へ向けるのに奉仕ほど 効果的な方法はない。 奉仕ほどわれわれに釣り合いの取れた見方をさせ霊的に成長させるものはない。われわれは奉仕するにつれて、われわれが仕える「他の人々」と自分をますます同一認するようになり、徐々にわれわれの注目を小さな分離した自己から転移させる。 われわれはより広い包括的な世界のビジョンを得、 われわれが部分をなしているところの総体とのより正しい関係に入っていく。
今日多くの者が、特に、西洋で現在教えているたくさんのグルの下で東洋の伝統を学んでいる人々は、瞑想それ自体を目的として見る。 彼らは社会をより良く変えるために外的行為や奉仕をする必要を認めず、 内的な心の変化なしに外的な変化の可能性を認めない。 そして多くの者は、単に瞑想するだけで、 他の何をなすよりもはるかに良いことを世界のためにしていると信じる。もちろん、 もし彼らが神を実現した覚者方であるならば、それは確かにそうかもしれない。 しかし覚者方でさえ、 世界への奉仕に惜しみなく働く。 彼らほど働く者はいない。
瞑想を通して、人は魂のエネルギーとインスピレーションを引き付け、 それがパーソナリティーの表現に生命と意味を与える。 これが奉仕への正しい出口を否定されると、 パーソナリティーの器=メンタル体、アストラル体、肉体の中に「滞り」が起こり、不幸な結果を来す。 志向者や弟子たちのノイローゼやその他の病は魂のエネルギーの未使用と魂の目的の否定から発する。
瞑想は魂との接触への王道であるが、 いったんこれが達成されたら、真の志向者が弟子道へと進む道は奉仕の生活をも共に受け入れることである。 内的焦点と外的焦点との均衡が保たれなければならない、そして最も低い弟子からキリスト御自身、そしてさらにその上位のすべての真なる神の子たちを招く無限の道、奉仕の道の上の歩みが始まるのである。その同じ奉仕への要求がロゴスをして顕現せしめ、われわれに生命を与える。
(シェア・インターナショナル誌1982年3月号)

シェア・インターナショナル2024年4月号
印刷版全内容

  • 覚者より ベンジャミン・クレーム筆記
    戦争の冒涜/裂開の剣を創造する
  • 編集部より
    今でなければ、いつか? 私たちでなければ、誰か?
  • 視点
    国境なき医師団による国連安保理への報告
  • S.O.P. (Save Our Planet) ー われわれの惑星を救え!
    英国がエネルギー憲章条約から脱退
  • マルク・アンドレ・セロス著
    『世界の起源: 土壌を脅かす人のための土壌の自然史』
    ドミニク・アブデルヌールによる書評 第一部
  • ネタニヤフ首相はバイデン大統領を引きずり下ろすのか
    ジェフリー・D・サックス
  • 法の支配
    法の支配の尊重を求める一致結束した声
  • 時代の徴
    星のパフォーマンス
  • 大計画 — 選集
    The Plan ー a compilation
  • 「もし私が死ななければならないとしたら」
  • 民衆の声
    勇者の強さを見せつける
  • 霊的成長における瞑想と奉仕
    ベンジャミン・クレーム
  • 科学 (続き)
    アート ユリアーンス
  • ウエサク祭
  • 前へ、 突破口へ
    デニス・クシニッチ
  • 編集長への手紙
    笑顔の実践 他
  • 読者質問欄
    回答 ベンジャミン・クレーム

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