マイトレーヤは1977年7月以来、ロンドンのアジア人地区に拠点を置き、目立たないように活動しながら、徐々に公の場に姿を現してきました。1988年、マイトレーヤはさまざまな国の著名な指導者たちや多くの一般市民の前に、直接、あるいは夢の中に現れ始めました。
1988年6月11日、彼はケニアのナイロビで開かれた野外祈祷集会で、6,000人の前に「忽然」と現れ、聴衆は即座に彼をキリストと認知しました。この出来事は写真付きでケニア・タイムズ紙に報道され、その後世界中のニュース・メディアに取り上げられました。
この出来事の後、2001年まで、マイトレーヤは世界中の正統派宗教団体の集まりの前に定期的に現れました。彼は彼らの母国語で短く語りかけ、その場にいた人々の大多数に、彼らが待ち望んでいた教師であると認識されました。彼はまた、これらの出現の近くの地域に癒しの泉を作り出しました。メキシコ、ドイツ、インドの癒しの泉には、何百万人もの人々が訪れています。
1990年4月21日から22日にかけて、マイトレーヤはロンドンで、政府、ビジネス、科学、宗教、ジャーナリズムの各分野から集まった約200人の世界的リーダーやその使者を招いて、週末会議を開催しました。多くの人々が、彼の優先事項の実施に協力することを約束しました。
画家、著作家、講演家であるベンジャミン・クレームは、40年もの間、世界中で講演を行い、これらの出来事を一般の人々に知らせ、マイトレーヤの出現への道を準備する手助けをしました。2008年12月、彼はアメリカの大手テレビ局での初のインタビューで、ごく近い将来、昼夜を問わず世界中に見える大きな明るい星が空に現れ、マイトレーヤの出現が間近に迫っていることを予告すると発表しました。数週間も経たないうちに、異常に明るい星がしばしば動き、色を変えているという報告が世界中からなされ、メディアやインターネットに掲載され始めました。
2010年1月14日、ベンジャミン・クレームは、マイトレーヤがアメリカのテレビで初めてインタビューに応じ、何百万人もの人々がテレビとインターネットの両方で彼の話を聞いたと発表しました。ベンジャミン・クレームは説明しました: 「彼は、世界教師であり、霊的ハイアラーキーの長であるマイトレーヤとしてではなく、私たちの一人である普通の人間として紹介されました。こうすることで、彼は自分の地位のためではなく、彼の思想の真実と正しさのために、人々が彼をサポートし、支持するようにしたのです。彼は、正義の創造と世界の資源の分かち合いによってのみ達成可能な平和の必要性を切々と訴えました」
世界における彼の公然たる使命が始まりました。マイトレーヤ自身が次にように述べています: 「まもなく、もうすぐ、私の顔を見、私の言葉を聞くだろう」
可能な限り早い時期に、マイトレーヤはその正体を明らかにするでしょう。やがて、彼の存在とアイディアに対する大衆の反応が高まり、彼は全世界に招かれて話をすることになるでしょう。この大宣言の日に、マイトレーヤは、衛星ネットワークを通じて世界中のテレビで見ることができるでしょう。彼は全人類を同時に「オーバーシャドゥ」し、(14歳以上の)誰もが彼の言葉を内面的に、テレパシーで、自分の自国語で聞くでしょう。テレビでマイトレーヤを見ていない人たちでさえ、この体験をすることになるでしょう。彼の愛のエネルギーはすべての人の心に入り、世界を救うために人類を活気づけるでしょう。同時に、世界中で何十万もの自然治癒が起こるでしょう。こうして私たちは、マイトレーヤが真に全人類のための世界教師であることを知るでしょう。マイトレーヤは人類の未来の生活についてのあらましを説明し、正義、正義への唯一の道としての分かち合い、そして世界の平和を訴えます。この出来事に対する私たちの反応は、世界の未来全体を決定することになるでしょう。マイトレーヤはすでにこう言っています。 「私の心は、あなたがたの答え、選択を知っている。そして喜んでいる」
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