
英国の芸術家であり、秘教哲学を長年学んだベンジャミン・クレーム(1922-2016)は、世界教師マイトレーヤの出現に関する主要な情報源となりました。彼はマイトレーヤの出現のために40年以上を費やしたのです。多くの言語に翻訳された数多くの本の著者であり、『シェア・インターナショナル』誌の創刊編集者でもありました。
スコットランドのグラスゴーに生まれたベンジャミン・クレームは、幼い頃から芸術を学び始め、モダニズム様式の優れた画家へと成長しました。また当時のイギリス美術、音楽、文学界を代表する多くの人物と親交を結び、共同制作を行っていました。彼の絵画は数々の一流ギャラリーで展示されています。
訓練
特に19世紀後半にヘレナ・ブラヴァツキーと神智学協会を通して、20世紀にはアリス・A・ベイリーを通して発表された教えを研究しました。これらの教えによって、彼は覚者方(この惑星に対する神聖な計画の管理者である自己を完成された方々のグループ)の存在を信じるようになりましたが、それにもかかわらず、1959年に覚者方の一人から連絡を受けたときはまったくの驚きでした。彼はそのとき、とりわけ、すべての覚者の中の長である世界教師、マイトレーヤが約20年後に戻ってくること、そして自分(クレーム)がそれを受け入れることを選択すれば、その出来事において果たすべき役割があることを告げられたのです。
10年以上のちの1972年、クレームは師の指導の下、厳しい修行の期間に入りました。それは、来たるべき使命に備えるためでした。それは、あらゆる宗教の人々がキリスト、メシア、イマーム・マハディー、クリシュナ、マイトレーヤ・ブッダといった様々な呼び名で待ち望んでいた世界教師の出現を、懐疑的な世界に告げ知らせることでした。クレームは師との絶え間ない思念伝達(メンタルテレパシー)による交信を通じて、マイトレーヤの出現に関する最新情報を入手し、この物語を伝えるために必要な揺るぎない確信を得ることができました。
講演活動

1974年、クレームは伝導瞑想を発表しました。このグループ瞑想は、ハイアラキーのエネルギーを伝導する世界奉仕の一形態であると同時に、個人的な成長の手段でもあるのです。今では世界中で実践されています。
1977年、彼はマイトレーヤが現代世界で外界の仕事を始めたと発表しました。
1975年、クレームはまず英国で、その後ヨーロッパ全土で招待講演を始めました。1980年の最初のアメリカツアーでは、多くの主要都市で大勢の聴衆を前に講演しました。1980年代初頭からは、西ヨーロッパ、東ヨーロッパ、日本、オーストラリア、ニュージーランド、カナダ、メキシコ、そして年に2回のアメリカツアーにも参加しました。さらにアメリカ国内だけでも300以上のラジオやテレビ番組でインタビューを受けました。
マイトレーヤの出現に関するクレームの著書は数ヶ国語に翻訳され、彼のメッセージに応えるグループによって世界中で出版されています。1982年、彼は共働者と共に、マイトレーヤの出現のプロセスや、現在世界的に起きている政治的、経済的、社会的、霊的な変化に焦点を当てた月刊誌『シェア・インターナショナル』を創刊しました。この雑誌は世界70カ国以上で読まれています。
ベンジャミン・クレームは、この仕事のために報酬を受け取っておらず、彼自身の霊的な地位について主張もしていません。これらの事実は、彼の信頼性、知性、ユーモアとともに、他の信じられないような物語に信憑性を与え、カナダ放送の司会者兼プロデューサーのマックス・アレンに賛同する何十人もの有名な放送パーソナリティ達を促しました: 「マイトレーヤの話は重要であり、クレームは立派なスポークスマンである」
1975年に初めて公の場で話して以来、何百万人もの人々がクレームの希望のメッセージを聞き、多くの人々がそれを世界的な規模で知らしめる手助けをしたいと思うようになった。「私の仕事は、一般大衆にこの情報を伝えるための最初のアプローチを行い、希望と期待の風潮を作り出す手助けをすることです。それができれば、私は満足です」